永平寺そばについて

永平寺そばについて

このそばは、人の御恩を知っている。

ヤマサ製麺スタッフ

永平寺そばの原点

終戦を迎えた昭和20年、創業者山崎嘉一(前会長)は山崎製麺製粉工場を創業。昭和23年6月の福井大震災で家屋を失うも、不屈の精神で同年11月にヤマサ製麺製粉所を創立。その後も水害、隣家からの出火で工場も家屋も三たび失うという不運にも屈せず、製麺業を存続。
何度も「もうだめだ」とあきらめかける度、誰かが手を差しのべてくれた。そのため、山崎会長は「人の御恩というものを忘れたことがない」。

そんな想いから、製麺業の再起はもちろん、未整備だった製麺業界のためにも奮闘し北陸三県製麺組合の設立に関わり、自身も初代福井県製麺組合理事長として業界の発展に尽力し、福井県のそばの普及・発展の重要な役割を担ってきたのです。

永平寺そばを、名乗るべき時。

永平寺御用達看板

(株)ヤマサ製麺とは

昭和40年代に入ると、永平寺門前の飲食店とのお取引がはじまり、主にそば麺を納めさせていただくようになりました。その後、門前の皆さまのあたたかいご推薦をいただき、縁あって昭和61年6月、永平寺様御用商とさせていただきました。

同年、現福井市大町に工場を移転し、社名を(株)ヤマサ製麺といたしました。「永平寺のお膝元にて、おかげさまで商いをさせていただいております。」現会長の口癖は社員の身を引き締め、社員の誇りとなり、ヤマサ製麺の大きな力になっています。

現在、製造している商品は福井県学校給食指定のソフト麺、各種そば麺、中華麺、うどんですが、全生産量の8割はそばとなっています。
近年は贈答用として用いられることが多く、県内外からご注文をいただき「福井県のそば」として故郷の味を楽しんでいただいています。

体のことも考えて、もっとおそばに親しもう。

やさしいそばづくり

おいしくて体にやさしいそばづくり

近年、そばの持つルチンの効果が知られるようになりました。弊社は食の安全・安心はもちろん、「体にやさしい麺づくり」をテーマに、玄米を練り込んだ玄米そばや、笹の粉を用いた笹そばを発売。このようにヤマサ製麺では、体にやさしい原料や素材をもとに、お客様に安心しておいしく食べていただける食品をこれからも提供し続けていきたいと考えています。

おいしいそば実だけを厳選し、石臼で挽く。

おいしさへのこだわり

永平寺そば・おいしさへのこだわり

「そばが持つ本当の風味は、石臼挽きでなくてはならない。」
先代の石臼挽きへのこだわりは、現在のヤマサ製麺にしっかり引き継がれています。原料のそば実も国内外10種類以上のそば粉を厳選し配合することで数十種類のそば製品を製造しています。また、弊社で使用している水は薬品を用いず電気的にイオンを引きPH調整することでそば粉の持つ初発菌を押さえ風味が引き立つよう改良されています。

お客様のもとに商品が届いた時の笑顔、食べている時の弾む会話を想い浮かべながら、ひとつひとつスタッフが心を込めて箱詰めしています。

※ヤマト便にて発送しています(要冷蔵の商品は冷蔵便にて)。

越前そばの由来

そばは八世紀に大陸より朝鮮半島を経て日本に渡来、奈良時代に食用となる。当時はそば粉を湯でこねた「そばがき」「そばだんご」が一般的でした。麺状(そばぎり)となり庶民に広まったのは江戸時代。福井(越前)では朝倉孝景公が一乗谷に籠城した1471年頃から非常食としてそばの栽培が始まる。種まきから収穫まで75日という短期間と、さほど土壌を選ばずに育つという特徴が戦国の世に重宝がられたと思われます。1601年、府中(現越前市)の城主がそば師を伴って赴任。麺状のそばに大根おろしを添えて食したとあるのが現在のおろしそばのはじまりと伝えられています。

このおろしそばが「越前おろしそば」として全国に広まったのは、1947年(昭和22年)に昭和天皇が福井を訪れた際、おろしそばを2杯も召し上がり、その後そばの話題となった時「あの越前そば」とお言葉にされたことが「越前そば」命名の由来とされています。

現在そば栽培は福井県内各地で行われ、作付け面積は全国3位(平成23年)。

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